セブ島留学はまだするな!

今や年間30,000人以上が留学する
セブ島留学の開拓者が明かす
セブ島留学に行くべき人ムダな人

From: アッキー
セブ島、ビーチ:
午前7時13分

めての英会話は
「Hamburger Please」でした。

バックパック一つで自由に
世界を回る旅人に憧れ、20歳で
バックパッカーになりました。

初めて行ったのはアメリカの
「ネブラスカ」だったと思います。

そこで本場アメリカのハンバーガーを
食べたくてハンバーガショップに
入りました。

カウンターでハンバーガーを
注文しようとしましたが、

「下さい」が出てこない…

困った私は、カバンから
ハンドサイズのミニ和英辞書を
取り出し、「下さい」を調べ、

「Hamburger please」

と、不甲斐ない気持ちの中注文を
したのを今でも鮮明に覚えています。

最高に惨めな瞬間でした。

そもそもネイティブが注文する時に「Please」なんて使いません。

むしろ、「hamburger」だけで
十分通じるのですが、

当時の私はそれほど英語が
できなかったのです。

ただ、今振り返ると、この惨めな思いが
私の英語学習の原点だったと思います。

自由の限界に
チャレンジする日々

全く英語ができない状態でしたが、海外放浪生活をスタートしました。

数年間、観光スポットを中心に転々としていました。

サグラダ・ファミリア、マチュピチュ、タージ・マハル、グランドキャニオン、アンコールワット、ナイアガラの滝、ウユニ塩湖、サハラ砂漠…

とにかく思いつく限りの場所に行きました。

「お金はどうしてたの?」

と、よく聞かれるのですが
実はバックパッカーを始める前に
会計士として2年間働いていました。

その時の貯金を切り崩しながら旅をしていたのです。

が、

当然足りなくなり、その都度日本に帰りバイトでお金を貯めたり、時には各国で日雇いの力仕事(グレイゾーン)で稼いだりしていました。

なので、貧乏放浪生活が私のスタンダードでした。

基本的に住いは10ドルほどのゲストハウスか、金欠中はテントでホームレスをしながら寝ていたこともあります。

移動は基本的にヒッチハイクでした。

食料は安い保存食、もしくは物乞いのよいうに奢ってもらうこともありました。

そんな生活を繰り返していたのです。

自然と湧き上がる生理的欲求

底辺の生活を日々過ごしていましたが、

何者にも支配されることもなく、
何事にも縛られることのない
自由な人生を生きているという
自負は持っていました。

しかし、唯一満たされないことが
ありました。

私は物欲はあまり無いのでずが、魅力的な女性に対してスキンシップ欲が高い傾向がある感じがします。

しかし、この旅ではスキンシップ欲が満たされていませんでした。

心のスキンシップにしかり
フィジカルなスキンシップをとるためには
「金」か「コミュニケーション能力」が
不可欠です。

当時の私には生きていくための最低限の
お金しかありませんでした。

ですので、必然的にコミュニケーション力を高める必要がありました。

しかし、ハンバーガーショップでの
惨めな出来事がずっとコミュニケーション
(英会話)の足かせになっていたので
学習意欲はあるものの会話するのに躊躇していました。

何年も旅をしているので流石に買い物や
ヒッチハイクで使う英会話は多少ですが
話せるようになっていましたが、極力
人との繋がりは避けてきました。

当然、その場その場で出会う人とは、親密な関係にはなれず、湧き上がる孤独な感情を無視し続けてきたのです。

ついに英語学習を決意

30代目前にしてようやく英語学習を
本格的に始めました。

英語を学ぶ目的は人それぞれですが、
私の場合、綺麗事でいうならば
「人との繋がり」と言えますが、

正直いうとスキンシップを
とりたかっただけです。

不純な動機かもしれませんが、
それが私の語学を学ぶ最大の目的です。

とりあえず、駅前留学

私は大学に行っていませんし、高校もまともに通っていた記憶がありません。

なので複雑な理論とか分からないのでシンプルに物事を考えるクセがあります。

そんな単純思考の私は駅前留学をすれば
話せるようになると思っていました。

当時はまだ駅前留学と言う名前すら認知されていない時代でしたが、手軽に英語が学べることで密かに盛り上がりを見せている時期でした。

インプットだけの
なんちゃって留学

少人数のグループレッスンで、基本的に文法を学んでいく学習でした。

駅前留学とは言っても講師はバリバリの日本人です。

教え方は丁寧でわかりやすかったので
今まであやふやだった「現在形」と「現在進行形の」の違いがわかるようになりました。

結果、3ヶ月の間に日常英会話の
語彙力と、基礎的な文法は身についたと
思います。

しかし、いくら単語、文法を覚えられても「英会話」の伸びを全く感じませんでした。

講師が話すジャパニーズイングリッシュは
なんとなく聞き取ることができるようになったのですが、自分が思っていることを言葉にすることができなかったのです。

実践(アウトプット)が無い
日本の英語教育

駅前留学を続けて3ヶ月目がたった私は
学習の成長が完全に止まりました。

駅前”留学”は留学ではないです。

完全に留学というキャッチに騙されました。(笑)

もちろん基礎英語力は上がったのは確かですが、外国人とコミュニケーションが取れる環境がないので、肝心の英会話ができなかったのです。

なので実践の場を求めカナダに留学しようと計画しました。

早速カナダ留学専門エージェントの説明会に参加しました。

見積りを取り、初めて欧米留学の敷居の高さを感じました。

一般人以下の所得である私にとってはあまりにも大きすぎる金額にビビり、行き先をカナダから急遽アフリカに変更しました。

アフリカ留学

なぜアフリカなのかというと、ご存知の通り過去イギリスによる植民地化が進んでいたアフリカには英語を公用語とする国が多くあるからです。

それと、何より物価が安いのが魅力的でした。

私にぴったりなアフリカですが、当時はアフリカ留学の情報がほとんどありませんでした。

なので、直接行って探すことにしました。

最初に行ったのがコンゴ共和国でした。

が、行ってすぐに気づかされました。

完全にアフリカを舐めていたことに。

サバイバル英会話

コンゴに到着して、まずはじめに宿を探しました。

1泊3ドルのボロボロのゲストハウスを見つけそこに宿泊することにしました。

8人部屋で、ベッドのシーツは小汚く、謎の黄色いシミがあったり、バスルームはほとんど掃除されていなく悪臭が漂うような劣悪な環境でした。

なぜかこういった環境でしたが私の冒険心をくすぐりワクワクしている自分がいました。

しかし、そんな自分でも当時のアフリカは私の想像をはるかに超えるサバイバルな環境が待っていたのです。

どのような状況にいたのか、順番に話していきます。

最初に宿泊していた8人部屋には私を含め5人の宿泊者がいました。

東洋人は私一人でそのほかは肌の黒いアフリカ人でした。

彼らは少し訛りがありますが英語を普通に話します。

彼らとの共同生活も5日目が経ち少しずコミュニケーションが取れ始め楽しくなってきたころ、ある事件が起きました。

ルームメイトの突然の死

6日目の夜、ルームメイトの黒人男性が慌てて帰ってきました。

額に大量の汗をかいておぼつかない様子の彼が言い放ったのは、

「ダダが殺された…」

ダダは私たちのルームメイトのことです。

嘘のような出来事で何が起きたか瞬時に理解できませんでした。

ダダはルワンダの国境付近で強盗に襲われ、身ぐるみをはがされた上、ピストルで撃ち殺されたのです。

こんな映画のような話だと信じてもらえないと思いますが、当時のアフリカは紛争や強奪が相次いでいて、

特に外国人渡航者の殺害は珍しい話ではなかったのです。

平和ボケをしている私たち日本人には想像もつかない事ですが、現実で怒っている話です。

この経験は本当に衝撃的な出来事だったので、今でも強烈に覚えています。

よほどトラウマになっているのか、今、この文章を書いている時も手が少し震えます。

当時のアフリカではインターネットが全く普及していない状態でしたので、こういった危険な場所などの情報を知るには人伝に聞く必要があります。

情弱が命取り

アフリカでは、
情弱=死
を意味します。

そのため、国民は常に危険な情報に耳を傾けています。

なので、私が置かれていた状況は英語を学ばなければ生きていけない環境だったのです。

英語を勉強したいというモチベーションは全く無く、とにかくやらなきゃ死ぬという思いで必死に英語を勉強をしました。

そして、積極的に人と交わるようになったのです。

そんな日々を3ヶ月以上続けていました。

まだまだぎこちない英会話でしたが、アフリカのサバイバルな実践英会話へて、外国人と英語で話をするのに抵抗感がなくなっていました。

そして、アフリカのサバイバル英会話を卒業してカナダの語学学校にステージを移しました。

この頃から徐々に、留学関係のお仕事をしようと思い始めていました。

そのこともあって、いろんな留学を実際の目で確かめてみたいと思いカナダに向かうことにしたのです。

カナダ留学

私にとってはかなり高額なカナダ留学ですので、短期間に集中して英語を学ぼうと思いました。

そして、ついにカナダのバンクーバーに上陸。

洗礼された綺麗な街並み、綺麗な自然。

今までアフリカにいた私にとっては天国のような場所でした。

ですが、

インプットが8割
グループレッスン

私のクラスには13人いました。

その日のテーマごとに文法や単語を
勉強していきます。

しかし、肝心の話す(アウトプット)はかなり積極性がなければなかなか授業では英語を話せません。

特にラテン系の生徒はとても積極的で先生の問いに答えていました。

私の他に日本人は2人いましたが、私も含めなかなか授業では発言できませんでした。

あっという間の3ヶ月で、やっとクラスにも馴染めて授業では積極的に話せるようになってきた頃に卒業になってしまいました。

延長を考えましたが、十分な資金がないので結局日本に帰ろうかと思っていました。

そんな時、あるアジア人留学生から
激安の学費でイギリス人講師から学べる

カンボジア留学の存在を聞きました。

当時のカンボジアは政治が不安定で
危険という話をよく聞いていたのでが、

最終的に日本に帰るお金を使い
カンボジアに渡ることにしました。

内戦状態、日本人たった一人の
カンボジア留学

当時1990年ごろのカンボジアはポル=ポトの独裁政権の名残がまだまだ残っている状況で内戦が鎮火していない頃でした。

そんな危険な場所に留学にくる
日本人はもちろん誰一人いません。

おそらく日本人初のカンボジア留学
一期生だと思います。

そのころのカンボジアは
1泊1ドル、一回の食事は30セント。

私にとっては内戦の地獄の状態でも
天国に感じました。

1ヶ月の授業料は25ドルでした。

先生はイギリス人の無精髭を生やした
おっさんでした。

おそらく、激安の売春婦が目や手で
きているようなやつでした。

授業は7、8人のグループクラスで英語で英語を学ぶ授業にもまったくついていけませんでした。

授業中はほとんど英会話はありませんでした。

学校の外に出れば英語の環境とはまったく
無縁、当時はカンボジアの留学生しかいなく、彼らはグループをなすのであまり話すことができなかったです。

学校の外に出れば、英語環境とはまったくの無縁の状態で英語をアウトプットする場がまったくありませんでした。

気がつくと1ヶ月がたち、ほとんど成果を感じないまま卒業するはめになりました。

自分は英語勉強をするのが遅すぎたと
感じていましたが、

現状の留学市場では、一般的な日本人が留学しても
お金の問題、環境の問題、授業の問題で
十分な効果が得られないのでは?

一般人でも気軽に留学できて
英会話がしっかり身につく
そんな理想的な場所はないのか?

と常に考えていました。

そんな迷走している時期に、転機が訪れました。

カナダ留学で知り合った韓国人の男性から
フィリピンにマンツーマンレッスンを
基本とした学校ができたということを聞きました。

私は直感的にここだと感じ、すぐにフィリピンに
向かいました。

そして、ついに見つけました。

最強のコストパフォーマンス
フィリピン留学

安心できる場所が良かったので、マニラより治安が良いセブ島に行くことにしました。

今や300校以上が軒を連ねる語学学校の激戦区ですが、その頃は1校のみでした。

ちなみに

フィリピン初の外国資本の語学学校です。

当時の学校は今の8分の1ぐらい安かったのですが、アフリカからの移動でほとんど現金がなかった私は、ある方法に出ました。

酒が飲めればみんな友達

韓国は儒教の文化が根強いこともあり

日本以上に縦社会です。

そこで社長のビッグナムさんと何度も

タダで授業を受けさせてもらうことに成功しました。

自慢はあまり好きではないですが、日本人で初めてフィリピンのマンツーマンレッスンを受けました。

1ヶ月の授業でしたが、フィリピン人の英語力の高さにびっくりしました。

実はフィリピンはビジネス英語指数が世界ナンバーワンなんです。

生まれて初めて英語力の伸びを実感しました。

それは「話せる」ことに特化しているため、話せるようになると英語が伸びたと実感しやすいです。

実際にこの機会に海外の友人が多くできました。

質が高く、マンツーマンレッスンを破格の値段で提供できるフィリピン留学はまた以外なく売れると思い、下心がふつふつと湧いてきました。

そんなお金に目が眩んでいた私ですが、

なぜか

「日本の英語教育に貢献できるかもしれない」

と生まれて初めて「他人のために何かができる」という気持ちも同時に湧いてきたのです。

これまで自分のためだけに生きてきた私が、貢献という気持ちを抱いたのは、なんだか違和感を感じましたが、自分もそんなことが考えられるようになったのかと、少し嬉しくなりました。

その学校のオーナーに頼んで独占販売けんをいただき、2003年個人でエージェントを立ち上げました。

現実の過酷さ

しかし当時の日本ではフィリピン人が英語を話せるイメージが全くなく、マイナスのイメージしかなかったです。

フィリピンと聞くと

パブ、貧困、バナナしか出てこないのです。

そんな信用力のない状態でしたので、なかなか受け入られてもらいまえんでした。

毎日、学校や塾の前でビラを配り続けましたが、見向きもされませんでした。

しまいには「変な奴がいると」警察に通報されたこともありました。

しかし広報活動を続けていくうちに、小さな旅行会社の社長に出会い、私の思いを聞き入れてくれ、広報活動の支援をしてくれました。

それがきっかけで、徐々にフィリピン留学の認知を得ることができました。

それと並行して当時ではまだ珍しいインターネット広告を開始しここで爆発的な勢いでフィリピン留学が広まって行きました。

フィリピン留学に行く人が多くなり、それとともに口コミが口コミを呼び数年で年間留学生が1万人を超え初めてきました。

突然の裏切り

勢いが出てきたフィリピン留学で数年で8億円の売り上げが

この頃から徐々に過ちが始まっていました。

はじめこそ大金が稼げると思っていましたが、徐々に留学生などの声を聞くたびにこの市場のやりがいを感じ寝る間も惜しんで働いていましたが、

市場が拡大するにつれて、やましい心が再び出てきました。

経済的に豊かになると人は狂い出す。

信頼していたエージェントパートナーに突然裏切られたのです。

ただただ悔しくて、悲しかったです。

水面下で私が持っていた独占販売権を自分のものにし、気がつけば

独立を決意

色々大人の事情があるので学校名は出しませんが、実は初めて日本資本の語学学校を作りました。

それまで韓国系の語学学校がメインだったので、日本式の質の高い学校を作りました。

その頃から日経のオンライン英会話のオフィスがセブ島にできてきました。

日本人向けのオンライン英会話は忙しい社会人が多く朝と夜に集中していて、昼間の時間はちょうど受講する生徒さんが少ない状態でした。

語学学校は逆に8時から17時が基本的でしたので、効率よく先生を回すことができるのです。

最初は30人以上の小さな学校でした。

環境が整備され日本人留学生でも気軽に行けることが評判を呼び瞬く間に学生が集まりました。

ハイパーメディアクリエイターの高城剛さんにセブ島留学を紹介している時の写真

大人の都合で名前は出せませんが、芸能人、格闘家、ビジネス界の有名人の方達の斡旋もしていました。

ピークを迎える前に辞職

ある程度大きくなったところで私は自ら会社を辞任しました。

その頃から日経の学校が出来始めてきましたがやはり基盤を持っていない学校が多く、伸びなやんでいる状態でしたので、

学校設立のアドバイザーや学校の基準をあげるレーティングチェックに従事し始めました。

セブ島留学の全てを知り尽くした

それからはフィリピン留学の市場拡大に専念するためエージェント業に移転集中しました。

質を重視に行なっていると、やはり生徒さんを多く送り出すのは困難ため小規模なエージェント業を基盤としていました。

しかし学校が増えて行くにあたってそれ以上にエージェントの数が増えて生きました。

案の定競争力も上がって生き、小規模運営の私の会社は気がつくと徐々に傾いて生きました。

それと同時に私も市場からフェイドアウトするように離れて生きました。

その後、ほぼエージェント業をせず、色々人生を見つめなおす時期を送っていました。

それから2年の歳月がたち、インターネットでセブ島留学を検索すると、

「騙された」

「対応がずさん」

「思っていたものと違う」

など、色々悪い情報が目立っていることに気づきました。

一つの原因はお金目当ての学校、エージェントが増えたことで質が落ちたことがあります。

自分が作った市場とい責任を感じもう一度エージェントを開始

破格の値段で質の高いマンツーマンレッスンが売りのフィリピン留学ですので他の留学と違ってリピートしてくる生徒さんもいます。

しかし、安価な留学とは言え、失敗したらもう一度という考え方はどうかと思います。

悪質な語学学校、エージェントに行ったばかりに後悔するのは、お金以上に何よりあなたの時間(人生)が持ったないです。

質の高いサポート重視のエージェント

今の私がここまで大きくなってしまった市場をどうこうできるわけはないです。

それでも、小さなところから始められる。

セブ島留学の健全化を始めたいと思い
また一からエージェントを始めたいと思います。

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トータル価格 約32,500円(*全員特典含む) → 無料

特典12weeks以上

・勉強疲れを癒すセブ島満喫チケット
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 -VISA代 約8,000円
 -SSP代 約15,000円
トータル価格 約55,500円(*全員特典含む) → 無料

特典24weeks以上

・勉強疲れを癒すセブ島満喫チケット
・どこでも持ち運べるポケットwifi
・VISA&SSP代を全額負担
・往復航空券
 -往復航空券 約100,000円
トータル価格 約155,500円(*全員特典含む) → 無料

特典48weeks以上

・勉強疲れを癒すセブ島満喫チケット
・どこでも持ち運べるポケットwifi
・VISA&SSP代を全額負担
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3月の説明会スケジュール

・28日(水) 19:00~
・31日(土) 13:00~

4月の説明会スケジュール

・4日(水) 19:00~
・7日(土) 13:00~
・11日(水) 19:00~
・14日(土) 13:00~

会場

クオリア千代田御茶ノ水
101-0021
東京都千代田区外神田2丁目17-6 16F
1603号室

マップ

アクセス

御茶ノ水聖橋口より徒歩8

御茶ノ水聖橋口より左手に進む
②聖橋左折
③聖橋直進
④湯島聖堂交差点右折
⑤神田神社鳥居左折
⑥神田神社突き当たり右折
⑦正面ビルを目指して直進
⑧説明会当日はスタッフがこちらで待機してます
⑨スタッフがいない場合はインターホンに1603を押してください

 

説明会お問い合わせ

電話番号:090-2555-3388

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若者と老人が同じ学校で学ぶ
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開拓当時はほとんどが名門大学(東大や早稲田)の20代の生徒さんでした。

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